今ほんとにほんとにへこんでるし悲しいし寂しいし苦しいんですけど、
誰にも心配かけない迷惑かけないなら一生このままでいいと思うくらい
この辛いのが薄れていくのが悲しいので、ちゃんと書き残しておこうと
思います。
めちゃくちゃ支離滅裂な日本語とか出てくると思います。
※人の悲しい話に影響を受けやすい人は読まないことをおすすめします
※プライベートの話なので一部ぼかしています
2022年11月11日、我が家の大事な末妹が虹の橋を渡ってゆきました。
16歳と8か月でした。長生きしてくれたと思います。
ご飯を食べないと聞いたのが11月5日(最後に会ったのもこの日)、
病気がわかったのが11月7日だったので、本当にあっという間でした。
ここ1、2年で一気に「年取ったなあ」と思うことが増えたので、
実家に会いに行くペースを増やして覚悟()はしていたのですが…
いざその時が来るともう、駄目でした。
具合が悪くなってからも2~3日ちゃんと留守番をして、最後の日だけ
前々からお世話になっていた叔父の家に預けていました。
その日は朝吐いたりして苦しそうだったようですが、最後は
叔父の奥さんのお膝で眠るように亡くなったそうです。
私はと言うと、息が浅いという連絡を受けてから泣きながら会社を早退し、
急いで叔父の家に向かったのですが、間に合いませんでした。
車で向かったため、末妹に何かあったときに私に何かあったら困ると
到着するまでその連絡はしないでいたようです。
「頑張ったんだけど…」と言われた瞬間ぼろっぼろに泣いて駆け寄って、
名前を呼んで、触れたんですが、もう冷たく固くなっていました。
人間や、大型犬だったらまだあったかかったかもですが、
トイプードルだったので多分、あっという間だったんでしょう。
でも、肉球は筋肉じゃないので柔らかいままでした。
その顔はとても穏やかで、眠っているだけと言われても信じるくらいで、
朝吐いた分も綺麗にしてもらっていて、叔父の奥さんには感謝しかありません。
ごめんね、が一番最初に出た言葉でした。
もっと早く来ていたらとか、そもそもその日仕事を休んで
苦しい時に一緒にいてあげられたらとか、色々巡ってしまいました。
多分今後もずっと、このことは後悔し続けるんだと思います。
末妹は元気な間も本当におりこうさんで、全然手がかからないいい子で、
だからこそちゃんと、やれることを全部してあげたかったです。
私はあの子がつらいときに何もしてあげられませんでした。
あの子はずっと、がんばっていたのだと思います。本当にいい子です。
その後父も仕事から戻ってきて、父も同じように泣いていました。
実家には父と末妹しかいなかったので、具合が悪くなってからの数日
お世話をしたり、一緒に寝たりしていたのは父でした。
父が一番「あっという間だった」と思っていると思います。
叔父の奥さんにお礼を言って、その後、3人で実家に帰りました。
帰ってきて、末妹を寝かせてあげたら、また一気に泣けてきて、
父と一緒にわんわん泣きました。
その後父が火葬のための籠を調達しに行ってくれたので、
私は残って東京の妹に通話を繋いで、顔を見せてあげて、
声をかけてもらったりしました。
東京の妹は今年3月に引っ越したので、そのとき会ったのが
最後だったのですが、本人は「これが最後かも」と感じていたようです。
亡くなる少し前、家族LINEで「早く会いたい」「年末年始は行く」という
話をしていたので…叶わなくなって、それもまた悲しいです。
その日は3人で、末妹の過ごしたリビングで過ごしました。
アルバムを引っ張り出してきて眺めたりしました。
夜は寝たかったんですが寝れないし、父は寝不足だったからか
いびきかいて寝ててうるさいし(寝てくれてよかった)
火葬したらもう撫でられなくなるしな…と思って
ずっと末妹を撫でていました。
結局2時間くらいしか寝てないんじゃないかと思うんですが、
次の日はあまりしんどくなかった(体)です。
火葬するまでにちゃんとお経もあげてもらって、
お花で飾ってあげて、お手紙書いたりして、思いつく限りの
お見送りをしたつもりです。
火葬までに何度そのにおいを吸ったかわかりません。いぬを吸うのが好きなので…
意外と臭くなったりしないんですね。季節もあったんだと思いますが。
火葬も業者さんがちゃんとさせてくれました。
炉に入れる前にお口を湿らせてあげたり、前足に御守つけてあげたり、
お顔を最後に拭いてあげたり…
正直このときが一番辛かったです。もっとたくさん触れていたかったし、
撫でてあげたかったです。
死んでしまったことを理解したときもすごく悲しかったんですが、
もう二度とその姿を見れなくなる、触れなくなるというのは
気がおかしくなるくらい悲しかったです。
炉の扉が閉まって、一時的に家の前から車が去っていったとき、
いい大人なのに本気で声をあげて泣いてしまいました。
しかもそれ人に見られてました…恥ずかしい
でも抑えきれなくて、家に入ってからもわんわん泣いてしまいました。
お骨になってからは案外平気でした。
ちゃんと骨壺にいれてあげて、足の小さな骨はロケットに入れさせてもらいました。
足の指の骨、小さくて、でもちゃんと骨!ってかたちをしていて、
「骨になってもかわいいんだなあ…」と思いました。
我が家の末妹は本当にずっとかわいくて、かわいくなかったときが無かったです。
四十九日が終わるまで、骨は全部実家に置いておきますが、
終わったらロケットはひとつもらう予定です。
彼女のケージや、使っていたものも、四十九日が過ぎたら人に譲ったり、
処分したりするようです。もらえるものはもらおうと思っています。
彼女がうちにやってきたのは2006年の5月で、彼女が2か月のときでした。
その頃は(実)家には父も母も私も妹もいて、そこに末っ子の妹を迎えたかたちでした。
途中で両親が離婚して、私はあっちこっち、妹は母のところで暮らすようになりましたが、
末妹はずっと父と一緒にいてくれました。
私はこのことに本当に感謝していて、私は両親が離婚しても二人のことが
好きで、できることなら寂しい思いをしてほしくなかったので、
末妹が父のもとに残ってくれて本当に本当に助かりました。
父は仕事で忙しい人だったので留守番がどうしても多かったのですが、
途中で祖母が一緒に暮らすようになったりもしましたし
(その祖母も去年亡くなってしまったのですが)、
そもそも留守番が向いている方なのか、留守番原因のストレスで~
とかそういうことはまったく無かったです。
ここが「手がかからない」と言われるゆえんなのですよね。
具合が悪くなるその前まで、16歳にも関わらず毎日お散歩にも行って、
ごはんも硬いカリカリを食べて、ソファの上り下りもできる
すごい子でした。だからこそ、この一週間が本当にあっという間で…
私が10歳のときにうちに来て、つい先日まで。
私の人生のうち半分以上はあの子がいてくれました。
もう、あの子がいない日々のことなんて覚えていないくらいです。
だからこれからどうしたらいいのか何にもわからないです。
誰にも迷惑かけないなら、心配をかけることがないのなら、
このままいつも通りに戻りたくないです。
あの子がいない生活に慣れたくないです。
本当に大事な妹だったんです。
両親が離婚して、私と、妹と、さらにその妹のことを、
私は運命共同体だと思っていました。
でも今年、妹は東京に引っ越してしまって、
さらにその妹はいなくなってしまって、
私は今どうしたらいいのか、何にもわかりません。
早く割り切りたい気持ちと、そうなりたくない気持ちで
ぐちゃぐちゃです。
三日経って、さっき実家に行ってきました。
いつも通り寝ていてくれたりしないかなって、思ったんですが、
いなかったです。
会いたいです。撫でてあげたいし、名前を呼んであげたいです。
忘れないでいてあげたいです。